波乱万丈の転職&独立3(外資系保険会社~再度不動産業界へ)

波乱万丈の転職&独立

外資系保険会社に転職

不動産会社を退職してしばしの休暇

30代半ばにして新たな夢を描き、10年間必死で仕事に打ち込んだ不動産業界を飛び出しました。

10年間、まともに休暇を取ったことがありませんでした。
前にいた会社(不動産会社)は「休日出勤」「遅くまで働く」を美徳とする会社で、ゴールデンウィーク休暇・お盆休暇・正月休暇といちおう建て前としてはあるのですが、カレンダー通りに全部休んだりすると白い目で見られます。

「数字を上げてるやつ(営業成績のいいやつ)が休日出勤しているのに、それよりも数字の少ないやつが休んでてどうすんねん」

などと言われ、おちおちと休むことができません。

ひどい上司の下で働いていたときは、その上司が休日出勤しているときに、私が仕事に出ていない(休日なので休んでもいいはず)ときなどは、ほぼ必ずといっていいほど携帯電話に電話がかかってきます。

当然ですが会社から携帯電話を支給されているわけもなく、個人の携帯を会社に持ち込んでいますので、通話料はもちろん個人負担です。その個人の携帯電話に仕事の日・休みの日関係なく普通に電話をかけてきます。
(PCも当然ながら持ち込みで、会社からは支給されません。「ボーナスで買え」と言われ、実際にボーナスで購入してました)

その上司は「先輩の自分が仕事してるのに、お前はなんで休んでるんや」と平気で言ってきました。
休日なので、体も休めたいし、家族との時間も過ごしたい、毎日午前様で家に帰っても子どもは寝ており、休みの日ぐらいはコミュニケーションを取りたいと思うのは、ごくごく自然なことだと思うのですが、その上司は彼女もおらず独身、社長の弟子かなんか知りませんが(自分で言ってたことを聞いたことがあります)とにかく私が休みを取っているのが気に入らないみたいでした。

ちょっと前置きが長くなりましたが、そんな状況でしたから、たまに休みを取ったとしても電話がかかってくる、場合によっては職場に呼び出される、そんな日を過ごしていましたので、退職してから保険会社に入社するまでの間に、家族みんなで海外(グアム)へ旅行へ行きました。いままでそんな事ができると思っていなかったので、とても楽しく過ごしてきました。

嫌な上司や、変なプレッシャーから全く開放されて、常夏の島でバカンスは本当に楽しかったです。働く時間の割に給料もそんなに多くはなかったので貯金もほとんどありませんでしたが、こんなチャンスはめったに巡ってこないとばかりに、貯金をはたいて海外へ行きました。(嫁さんが安いプランを探してくれました)

しばらくは仕事の電話もかかってくることもなく、頭も体も休めることができて、そして新たな夢を描いて、外資系保険会社で働く日がやってきました。

保険会社での研修

10年間の苦い経験(なかなか成績が上がらなかった)がありましたので「やはり”スタートダッシュ”が大事だ!」と意気込みは人一倍あったと思います。

入社してすぐに研修があり、しかも新幹線で関東にある”研修所”で研修を行なうのですが、

「研修所」

この響きに私はうっとりとしていました。
以前勤めていた会社の新入社員研修は、古い民宿みたいなところでしたので”研修のためだけの施設”を所有している大きな会社は「やっぱりちがうなあ」としみじみ感じていました。

研修所は風呂・トイレは共同でしたが、それぞれ個室があり、朝から夕方まで研修が終われば、自主的に自室で勉強することもできます。

私は”スタートダッシュ”にこだわっていたので、研修が終わり夕食が終わりましたら自室にこもって、どうやってお客様を獲得していくのかをシミュレーションしていました。

保険会社というのはまずは自分の身内、友人知人から攻めていくもの、そんな風に研修で習いましたので、研修のときにもらった用紙に、身内で保険のセールスへ行けるところを書き出していきます。
そしてそのセールスした先でさらに紹介をもらい、新しい訪問先を開拓していく、そんなシミュレーションをしながら、

(はたして自分にそんな事ができるのか・・・)

身内はもちろんですが、友人知人に”保険をすすめる”のはものすごくハードルが高いです。

当たり前ですが、保険会社での研修は当然「保険は必要なもの」として教えられます。
自分ももちろん入っていましたし、周りの人達も当然のように生命保険は入っていたと思います。それは生命保険はなんとなく必要だとみんな思っているからだと思いますが、それでも

「保険会社に転職したから、ちょっと会わない?」とか
「保険の話を聞いてほしい」とか
「卒業してから久しぶりやから会おうか」

などと色んな理由を考えて、友人知人にコンタクトを取るのは非常に勇気が必要です。

でも嫁の反対を押し切り、一念発起して転職しましたし、契約を重ね、収入も増やし、そして海外で家族とともに表彰される、それを成し遂げるためには絶対に乗り越えないといけない、そんな思いもありましたので、私は夕食後も自室にこもってガリガリと作戦を立てていたのです。

するとしばらくして、同じ時期に転職してきた同期が私の部屋を訪れ「みんなで飲もう」と誘ってきましたが、私は断りました。
私は絶対に成功したい、スタートが肝心と思っていましたので、まわりの同期がお酒を飲んで宴会をしていても参加しませんでした。

そして数日の研修が終わり、現地に配属となります。

外資系保険会社の給与体系

外資系保険会社の給与体系がフルコミッションであることは知っていました。

フルコミッションとは、固定給がなく完全出来高制のことです。なので契約を重ねれば重ねた分だけ報酬になります。

安定を求めないかわりに報酬は”青天井”です。
私の頭の中には、フルコミの恐怖よりも青天井の報酬しかありませんでした。

保険の報酬がフルコミということは広く知られているかもしれませんが、実際の報酬というのは、

「お客様から毎月いただく保険料(いわゆる掛け金)から一定の割合を毎月もらえる」

というものです。
例えば毎月20,000円の保険をお客様がかけてくれたとすると、報酬の高い商品の場合、20,000円のうちの8,000円をくれたりします。

そしてその8,000円は1年間もらえます。

もし例に示した商品を毎月4件契約できたとすると、1ヶ月目は32,000円、2ヶ月目は64,000円、3ヶ月目は96,000円というように積み上がっていき、1年後には38万4,000円となるわけです。

しかし20,000円につき8,000円というのはずっともらえるわけではなく、1年間の期間限定です。その期間をすぎると、数百円になったり、なくなったりしますので、契約は延々と重ねていかなければならないのです。

今振り返れば、1ヶ月に4件(週に1件の契約)なんていうものは、相当努力してもなかなか成し遂げられるものではありません。
(ところが私の同期は毎週1件の契約(表彰される)にこだわっていて、今週2件取れそうだと思ったら、1件を翌週に回したりして”毎週契約”の表彰をされていました。さすがにそれはすごいと思いました。)

そういう給与体系ですから、入社当初は契約がゼロからのスタートなので、スタートダッシュで契約したとしても、初めの方の月の報酬は数万円や数千円の世界になります。

そこで会社が新人に対して救済措置(?)を設けているのですが、入社してから2年間は一定のノルマを自己申告し、そのノルマを達成すれば、固定給がもらえるという仕組みがあるのです。(現在は知りません。)
申告するノルマの数字によって、固定給が設定される仕組みでした。高いノルマを設定すれば、月収は多くなります。

私はスタートダッシュをするために、自分の出来そうだと思う数字のほんの少し上を設定しました。

で、この救済措置は2年間の固定給を保証されるものではなく、設定した月ノルマをもし達成できなかった場合、達成できなかったノルマ分は翌月に上乗せされます。

翌月に上乗せされた分を含めたノルマをクリアーすると、リセットしてもらえるのですが、もしノルマを上乗せした分を達成できなかったら、その達成できなかった分を再度翌月に上乗せされます。

で、翌々月に上乗せノルマをクリアーすればよいのですが、大半の人は上乗せノルマを達成できません。

達成できなかったときは、新人の救済措置が解除されます。
つまり設定した固定給がもらえなくなります。

入社して間もないうちに多くの同期が辞めていきましたが、みんな固定給がもらえなくなり、食べていけずにやむなく辞めていく人がほとんどでした。

ちなみに固定給はもらっていたとしても、

  • お客様に差し上げるノベルティ
  • 交通費
  • 文具類

などはすべて個人負担となります。

それがフルコミッションの世界です。
外資系企業は「実力主義」と聞いてはいましたが、それは本当でした。

採用してくれたマネージャーと噛み合わない

実際に私が就職した保険会社に採用をしてくれた人がいまして、その人が私の上司、そこでは「マネージャー」と呼んでいました。

マネージャーが入社してからの私のサポートをします。
そして私の成績がマネージャーの成績(報酬)にもなります。
マネージャーと私は、報酬の面でも「一心同体」なわけです。

ですからマネージャーは、部下である私を育てて結果を出さないと、自分も食べていけなくなります。

前述しましたように、私はスタートからバリバリやっていきたいと思っていましたので、不動産会社でやっていた”追客”を武器にし、自分を奮い立たせて夕方以降、お客様宅のご主人が帰ってくるであろう時間帯は、基本的に見込みのお客様に電話をしようと思っていました。

ところが私のマネージャーは夜の8時から(だったと思いますが)会社に自分の部下を全員呼び出し、夜の会社の会議室で「ロールプレイング」をやらせるのです。

ロールプレイングは前に勤めていた会社でもよくやっていました。
営業マンとしてはすごく大切なことだと理解はしていましたが、私は”追客”の時間を奪われるのがすごく嫌でした。
私にとって、夜の7時~9時くらいまでは追客のゴールデンタイムなのです。

前の会社では夜11時位まで電話をさせられていたので、9時以降の電話もできなくはなかったのですが、さすがに時代も少しずつ変わってきていて、夜遅くに電話をすることはできなくなってきていました。

「ロープレをやってる時間があれば電話をしたい」

そのようにマネージャーに懇願するも受け入れられず、私の周りの先輩含め同僚はマネージャーの言うがまま、ロープレをやっていますので、私一人だけ抜けるということもさすがに許されませんでした。

そんなことに私はストレスを感じていました。

「フルコミなんだから、全て自己責任ではないのか?」
「数字を上げるために夜の時間は見込み客に営業の電話をしたいと言っているのに、ロープレの方を大事にするのか?」
「数字(報酬)は自己責任の世界なのに、なぜ強要されなければならないのか?」

いろんな葛藤が込み上げてきました。

同じチームには、私と同じ時期に入社し、同じ時期に研修を受けた同期がいたのですが、その同期は”週一回の契約”をそんな状況の中でも続けていて、マネージャーの評価も高かったのです。

「同期の〇〇がやっているんだから、そんな言い訳通用するわけないやろ」

私が追客をしたいと懇願したときも、このように言われました。

確かにそれを言われると返す言葉がありません。
ですが、その同期の友達以外、同じチームの先輩方はみんな契約を全然取れず、食べていけなくて苦しんでいたのです。

ロープレをしてる暇があったら、1件でも多くのお客様に連絡して訪問のアポイントを取り、それにマネージャーが同行して契約を取りに行く、というようにやってもらえたら、そのほうが格段に勉強できると思ったのですが、

「同行はしない」

という流儀らしく、私の営業スタイルとマネージャーの営業スタイルは全然噛み合っていませんでした。

他のチームのマネージャーは新人に同行したりして、OJTで教えておられる方もいたので、隣の芝が青く見えたりしておりました。

そんな状況でしたから、はじめの数ヶ月はなんとかノルマクリアーできても、半年過ぎたぐらいにフルコミにリーチが掛かり、とうとうノルマ不達成で新人の救済措置はなくなってしまいました。

それでも最後は親に頭を下げに行き、

「申し訳ないけど契約をしてほしい。貯蓄型でほとんどお金は減らないから、預けるつもりでお願いできないか」

”お願い営業”にも行きました。
それでもノルマは足りず、フルコミとなってしまったのです。

フルコミにあれだけ夢を描いていたのに、自分が望まない形でフルコミの世界に入ることになったのです。

実は毎週の契約を継続していた同期は、それだけ契約をしていれば稼いでそうなイメージだったのですが、足りない契約を補うために、名前だけ借りて自分がお金を負担し、契約をしていたこともあったそうです。

「それぐらいやらんとそんなことできひんやろ」

と言ってました。
ですから結局は、見た目の契約は積み上がっていてても、現実的な報酬は全然増えていなかったようです。

またほかには、お客様のお金に手を付けたとか、作成契約(名義を借りて自分で契約、同期がやっていたこと)がバレたとかで「どこそこの営業所の同期が会社をクビになった」みたいな話を聞きましたので、保険の仕事の裏側って意外にモラルが薄いのかもしれません。

「外資系保険会社に勤めている」と聞くとバリバリ仕事して稼いで、たくさんお金を持っている”エリート”のようなイメージを描きますが、実は「お金はあまり持っていないけど、スーツ着こなしてお金を稼いでそうに見せている」ということがよくわかりました。

そういうふうにお客様に見せることも1つの営業なのですが、実はそんなにお金を持っていない自分がそんな風に振る舞わないといけない(?)のがとてもしんどかったです。

深夜のバイトもしながら昼夜働く

契約が積み重なっていないのにフルコミになるとどうなるかというと、その地域が定める「最低賃金」をもらうことになります。

実際には、私の積み重ねたコミッションはまだ数万円でしたが、最低賃金は月収でたしか約12万円ほどだったと記憶しています。

「最低賃金にも満たないコミッションしか稼いでいない」

自分の無能さを突きつけられている感じでした。

実際の手取りは税金や保険などを引かれて(フルコミでも健康保険は入れる)手取りが大体9万円くらいでした。

さすがに手取り9万円で家族を養うことはできず、そのときにはすでに子供を二人抱えていたので、いくらなんでも家族の収入9万円では食べていくことができません。

そこで私は深夜にバイトをすることにしました。

深夜のバイトは夜8時から翌朝5時までです。
仕事内容は食品メーカーだったのですが、全国から来た注文をひとまとめにしているセンターがあって、そのセンターでいろんな店舗からの注文を会社の規定の注文書に伝票を打ち替えていく仕事でした。

とにかくひたすらパソコンに向かって、FAXで送られてくる注文を伝票に打ち込んでいきます。

それがすごく忙しくて、時々休憩はしますが、休憩している間にどんどんFAXが溜まってくるので、あまりボーっとできる時間が無かったです。

私は本当にお金がなかったので、眠たくなったら飲むコーヒーを水筒に入れて持っていったり、500mmのパックのコーヒーが当時スーパーに行くと100円もしない金額で買えたので、バイトに行く途中にパックのコーヒーを買っていったりしていました。

翌朝5時に仕事が終われば、車で朝の9時前まで仮眠を取り、9時に保険のほうの会社に出社するという毎日でした。
会社には朝9時に出社した後、お客様との約束がなければ家に帰り、一旦仮眠を取って約束があればお客様のところへ行き、なければまた夜8時から深夜のバイトにいくということを7~8ヶ月くらい続けたでしょうか。

私の思いとしては、自分が一念発起して転職したのだから、

「絶対に成功したい」
「再び返り咲いてやる」

という気持ちでなんとか食いつなぎながら、契約を重ねていって復活をしてやる、という思いで毎日を過ごしていました。

しかしとにかく毎日ひたすら眠くて、その当時の思い出はというと、

眠たいけどなんとか頑張って運転していることとか、眠たい中、重いカバンを持って見込み客の会社を訪問したこととか、とにかく「眠い中〇〇をしていた」ということばかりです。

肝心の深夜のバイトの給料は、手取りで13万円から14万円ありましたので、本業の保険の仕事の手取りの9万円よりも数万円多かったです。

私はその13〜4万円と保険会社からもらった最低賃金の手取りを合わせ、その合計から自分のお昼ご飯代(小遣い込み)で1万円だけもらってあとは家に入れていました。

昼ごはん代込みの1万円のお小遣いですから、30日で割り振ると1日330円しか使えません。その当時タバコを吸っていましたので(今はやめています)、当時1箱150円くらいだったショートホープ10本入りを買って、なるべく節約して吸っていました。

それでもお昼ごはんに回せるのは180円ですから、安いカップ麺に袋のチキンラーメンを買って、会社のポットでお湯を入れて、ラーメン2つ分を食べてお腹を満たしておりました。

スーツを着て、あたかも稼いでいるような空気を漂わせ、お客様のお宅に訪問している外資系保険会社の営業マンは「実は貧乏生活をしていた」それが実態なのでした。

バイト料と最低賃金を合わせた金額からお小遣いの1万円を引いて、家に入れれるお金は21〜22万円程度で、その時すでにマンションを購入していて住宅ローンの支払もありましたから、家計的には全然足りなかったと思います。

私は封建的な考えの持ち主でしたので、なるべくなら妻には家を守ってもらい、自分が家計の分を全部稼いでくる、それを理想としており、その時までずっと私の稼ぎだけで暮らすということをしていましたが、さすがにそんな状況で貯金もそこを尽きかけていて、やむなく妻がパートに出ました。

私が妻のパート先(飲食店)にこっそり見に行き、制服を着てお客様に一生懸命応対しているのを見たときは、涙が出てしまいました。自分が情けなかったです。

またマンションは数年前に購入していたのですが、当時住宅金融公庫で中古マンションを購入する場合、最長で20年返済しか組めませんでした。
20年返済ですから月々の返済の負担もそこそこ大きく、保険会社に入って収入が激減したときには、住宅ローンの返済がとても重かったのです。

そこで銀行に相談に行き「支払いがキツイのでどうにかならないか」と相談に行きました。
(現在はインターネットがあるので、何でも調べられると思いますが、当時はネットでの情報はまだまだ薄く、直接行って聞かないとわからなかったのです)

「毎月の支払いが厳しいのでなんとかできないか」そんな相談をするのは、むちゃくちゃ恥ずかしいです。銀行の担当者にどんな目で見られるのか、恥を忍んで相談に行きました。

すると公庫は国の融資のため、そのへんはかなり融通がきくのでした。
20年返済はリスケジュールといって返済方法の見直しをしてくれ、トータルで35年返済になるように組み直してくれたのです。

また支払いの猶予期間も使えるとのことで(数年間は元金は払わないで利息だけの支払いにしてくれる)3年間、金利だけの支払いでいいことになりました。

月々のローンの負担が減っただけでも、精神的に相当軽くなりました。

そんなこんなで色々とお金に悩みながら、会社に行き、バイトに行き、睡眠不足にむち打ちながら過ごしておりました。

住宅ローン以外の借金が増えていく

実はその当時、私はカードローンの借金がありました。

VISAカードに付いていたカードローン枠50万円、そして三井住友銀行のキャッシュカードで50万円、また三井住友銀行でもう一つ口座を作って100万円、トータルで200万円の枠がありました。

初めてカードローンを使ったきっかけは、新卒で就職した不動産会社でのお客様とのトラブルからです。

はじめに就職した不動産屋は、社員に全責任を持たせます。
「責任をもたせる」というのは聞こえはいいですが、社員のミスをすべて社員個人に責任を取らせるのです。

私がその責任を取らざるを得なくなって、個人的に大きな金銭負担をしたものが2回あります。

1回目は未完成の新築一戸建の仲介をしたときのことです。

私のお客様が未完成の新築一戸建を購入してくれたのですが、未完成ですから多少の間取り変更や、壁紙などの色デザインの変更をある程度聞いてくれるので、お客様にとっては魅力的なものでした。

その話の流れの中で、建物の完成が近くなってきましたら「外構」の打ち合わせをしていきます。

お客様も普通になんの違和感も持たず、玄関のアプローチや植栽、ブロック塀など様々な希望を言います。その希望は、売主が指定する外構屋さんが直接聞いて工事をしていました。

そして引き渡しが近くなってきて、住宅ローンの実行準備、売主に支払う金額明細、諸費用の算出など準備を進めていると、売主が「外構費オプション扱い」と言ってきたのです。

「え?」

私が経験不足だったことも大きな原因ですが、

「新築一戸建が外構費別」

たぶん現在であれば、その販売資料に「外構費別」と書いていなければ、買主が誤認する可能性がありますから、売主が業者であればなおさら売主の責任になることと思うのですが、当時は外構費が売買価格に含まれていなかったり、売買代金と別に「水道分担金」などを取っていた業者も多くありそれがまかり通っていた時代だったのです。

不動産の表示に厳しくなった今では、別費用がかかる場合は詳細を書いておかないと業者の責任が問われますが、当時はまだまだそんな業者が数多くあり、価格を少しでも安く表示するために、外構費は別と書いていないにもかかわらず、外構費を別代金にしていたりするのです。

「外構費は価格に込みですか?」

と質問をしない限りは、売主も答えない、聞かなかった営業マンが悪い、とそういう時代だったのです。

私が経験不足であれば、契約前に上司が「確認したか」と言ってくれてもいいような気もしますが、そこは営業担当者に全責任を負わせる会社ですから、そんな親切なことを上司はしません。

仮にもし「確認したか」と聞かれたとして、私が「確認してません、すぐ確認します」と言ったりすると、いきなり「なんで聞いてへんのじゃ!」と激怒されると思います。そういう会社なのです。

もし怒られながらも確認して「外構費は別でした」という事実が発覚すると、

「お客さんが外構費出さへんっていうたらどうすんねん。それで契約しないっていうたらどうすんねん。その責任をお前はどうとるんや。」

となるのが目に見えています。そういう会社なのです。

まあとにかく、外構費が別であるということが”契約後”それも”引き渡し直前”にわかったのです。
(もう少し正確に言うと、外構費はたしか50万円までは売主負担でそれ以上は買主負担だった)

当然ですが大モメです。

お客様宅へ売主と一緒に出向き、

「お客様が注文した外構だと、オプション費用が〇〇万円かかります。」

と伝えますが、お客様は、

「そんなこと聞いてません。それを聞いていたらもっと質素な外構にしていました。」

となります。

工事も終わっているし、外構業者は代金を請求してくるし、もう後に引けない状態になっています。

それを会社に報告したところで、前述のように「お前が責任取れ」となるのは目に見えています。

報告したところで会社(というかその上司)が助け舟を出すわけもなく、責任を取らされるのがもう私にはわかっていたので、

「わかりました。私がなんとかします。」

と言って、私が個人でその外構費数十万円を負担することでその場を解決しました。

余談ですが、不動産業界というのは狭いもので、その出来事の約10年後にその業者がまた私の近くに出現します。私があるお客様から「この物件をある業者に勧められていて、契約しようと思うのですがどうでしょうか」と聞いてきたのですが、お客様はとんでもない物件を勧められていました。とんでもないというのは、擁壁のある物件で、ガレージを作るには1000万円超かかるであろう物件なのですが、その悪徳業者は「ガレージは400万円くらいでできる」と言っていて、とにかく売買契約を急かしてくるそうなのです。そのお客様を急かしている”悪徳業者”が当時、外構費をうやむやにしていた業者でした。私は「未だにこんなことやってるのか、全然変わってないな」と思いました。当然ですが、お客様はその物件を見送りました。「命びろいした」と言って未だに私のことを頼りにしてくれ、なにかといつも相談をしてくれます。

またもう一つ大きな借金を背負うことになったものがあります。それも初めて就職した不動産屋での出来事です。

当時不動産業から多角的経営を目指し、リフォーム部門を創設したのですが、その創設メンバーに私が入ることになりました。

リフォーム事業をしたことが全然なく、そもそも請負契約書もなかった状況から、全てにおいて一から作っていかなければならない状況です。

しかし利益率だけはしっかりと決められていて、請負契約を交わした時点で利益を確定させられています。

なので請負契約が終わってから、現場で新しく何か(不具合)が見つかったりすると(例えば壁の内側に隠蔽されていて見えなかった部分のせいで追加工事が発覚したりすると)利益にマイナスが生じます。

「すでに計上した利益にマイナスが生じる」ことはその会社では絶対に許されません。

不動産仲介の場合は、売買契約を交わした時点で”仲介手数料”を利益として計上しますが、よほどのことがない限り、仲介業者に損害などを請求されることは稀です。もし物件に不具合があっても、責任を負うのは売主なのです。

ですから仲介手数料と同じような考え方をしている会社ですので、リフォームの請負契約をした時点で利益を計上し、その後のマイナスは許されないのです。

しかし先程の例のように、壁に隠蔽されていて見えない部分というのがありますので、それを前もって調べれるように、マンションであれば管理組合にお願いして「竣工図書」なるもののコピーを取ったり、壊さなくて中を覗ける部分は全部調べるようにしていました。

それでも工事が始まると、なにかと予定外のことが出てきてしまうのが「リフォーム」なのです。

もし予定外のことが出てきてしまうと、もう一度職人さんに来てもらったり、追加工事が出てきたりするのですが、職人に現場に来てもらうには「人工(にんく)」といって、人件費がかかります。
その費用をすべて担当者の責任にするのがその会社の体質なのです。
(というかその直属の上司の体質なのかもしれません)

もし請負契約後に、そのような不具合が生じたことを上司に報告すると「それはなんで請負契約前に分からなかったのか、お前の責任やろ」となります。

工事業者に「なんとかなりませんか」とお願いしても「職人を呼ぶだけでお金がかかる」と言われ、その工事業者と上司もツーツーなので「なんとかなりませんか」とお願いしたりすると、すぐに告げ口され怒鳴り散らされることになります。
(さらにはその上司により私の悪評を社長に報告される)

そういう状態ですから、どっちにしても私が責任をかぶらないといけないので、結局そうやって出てきた不具合の責任は、自腹を切っておりました。

それでさらに数十万円の借金を負いました。

おそらくその2件だけでも100万円近くのカードローンを利用したと思います。

リフォーム事業を起こしたてで、まだまだ成果が出ない状態つまり給与もそこまで出ていない状態で、カードローンの借金が増えていき、借金街道まっしぐらに進んでいくのでした。

その借金を背負ったまま私は保険会社に転職しており、保険会社で最低賃金をもらいながら、深夜のバイトをするくらいですから、たったの1万円の支払いもできないのです。

カードローンを一度でも借りた方ならわかるかもしれませんが、毎月の支払いはいつも1万円なので、そんなに負担がないように思うかもしれません。

でも1万円返してもそんなに元金が減りませんし、当時の私は給料から1万円払うのもキツイので、「1万円をカードローンで更に借りて、その1万円で返済をしていく」という自転車操業に陥っていくのです。

50万円が2口でしたので1万円の返済が2件になります。私は限度枠までまだあるほうのカードローンで2万円を借りて、1万円ずつそれぞれに返済をしていました。

そんなことをしているうちに当時100万円くらいだったカードローンの借金は、時を経るごとに増えていき、とうとう200万円の限度枠まで行ってしまうことになります。

再び不動産会社へ転職

最低賃金9万円と深夜のバイト13~4万円から1万円のお小遣いを引いて残り全部を家に入れる、そしてカードローンは自転車操業・・・そんな状態で、

「おれは絶対に這い上がってみせる」

と夢を見つつ頑張っていましたが、あるとき妻が、

「もう限界」

と言いました。

それまですごく我慢していたのだと思います。

たまに行く外食もほとんどが「スシロー」。
当時は100円を切るネタも有りましたし、うどんが100円の時もありましたので、うどんでなるべくお腹を膨らまし、スープも全部飲めば、子供を連れて食べに行っても2,000以内で食べることができました。

そうやって節約しながら、家族(子供)にもたまに外食に連れて行き、やりくりをしてくれていた妻が弱音を吐いたので、

「自分の夢ばっかりで家族に苦労をかけてきた」

ことに猛反省をし、保険会社を辞め、不動産会社に戻ることを決めました。

そして早速、転職しようと考えている不動産会社のホームページから中途採用のエントリーをしていくことになります。

エントリーさせてもらえない

実は保険会社に転職するときに、同時に不動産業界最大手の不動産業者にも転職の活動をしていました。
もしも保険会社に転職できなかったら、その会社に行くつもりでした。
そしてその会社からは内定をもらっていました。

で保険会社を退職すると決めた後、早速その会社のホームページからエントリーをしたのですが、

「当社では再エントリーはできません」

とメールで返事が送られてきました。
要するに、一度でも不採用になった場合は、再度のエントリーができないということなのです。

私は愕然としました。(どうしよう)

でもさすがに簡単に諦めきれなかったので、そのメールに返信をしました。

「採用されなかったわけではなく、採用になったのを私が断ったので、不採用になったのではありません。」

というような内容の返信をしましたら、

「それでは再度エントリーからであれば受け付けます。」

と返信がありました。いちおう面接ははじめからやり直しにはなったのですが、エントリーできることになり、首の皮が一枚繋がりました。

最大手不動産業者へ転職

中途採用のエントリー後はトントン拍子に進み、すぐに入社できる日がやってきました。

慣れ親しんだ業界に戻る事になりましたが、以前勤めていた会社は、地元業者と仲良くしたり、宅建協会の会員と交流を図ったりということを、会社としてあまり良しとしていなかったので、若干アウェー感も持ちつつ、業界に戻った感じです。

また以前に努めていた会社は、プライドがすごく高い会社で、大手の不動産業者の担当者は「看板だけで仕事をしている」としか見ていなかったので、その会社に入社する自分が少し不思議でした。
一方で少しは看板だけで仕事をしている大手業者を”上から目線”でさげすむような部分も持っていたように思うので、私は「会社の看板ですることだけはないようにしよう」と思うのでした。

初日のことはなんとなく覚えてはいますが、やっぱり業界経験があるので、ちょっと皆さん構えていたような気がします。
前にいた会社はとにかく業界ではまあまあ話題のある会社でしたので「その会社から転職してくる」というのは、少し構える要素だったかもしれません。

とにかく無事入社することができて、そこから私のサクセスストーリー(?)は始まるのでした。

ありがたい固定給

その大手不動産会社に入社すると、いきなり月給がもらえます。

いきなりというのは、以前いた保険会社は成績によって報酬が決まる仕組み(フルコミ)でしたから、成績に関係なく固定給が出るというのがこれほどありがたいと思った瞬間はありませんでした。

さすが大手というべきか、月給に加えて宅建を持っていれば「宅建手当」、家族がいれば「家族手当」、年齢に応じて「年齢給」というものがありました。
さらにそれに加えて「交通費」がでます。

固定給だけで普通に30万円(額面)を超えていました。

それまでは成果が出なければゼロ(正確には最低賃金)だったのが、たとえ成果がゼロであっても貰える固定給が月に30万円を超えるということに感動を覚え、固定給がいかにありがたいものであるのかを実感しました。

ずっとサラリーマンをしている方はその感覚を持つことはないかもしれませんが、成果が出なくて最低賃金しか貰えず、深夜にバイトまでやってようやく手取りが22~3万円だったことを思い出せば、本当にありがたいと思いました。
大きな企業ですから、誰に感謝すればいいのかもわかりませんでしたが、とにかくそれだけで会社に感謝をしたものです。

ちなみに固定給がそれだけあるのですが、成果を出さずに固定給だけもらう社員は、やはり営業会社ですからガンガンに詰められます。とくに中途採用はいちおう3ヶ月が試用期間となっていて、その上司が3か月後に正式採用するかどうかの権限を持っています。

幸いにして、私は入社してその試用期間の3ヶ月の間に少しですが結果を残せたので、正式採用をしてもらいました。
同じ時期に入社した人がひとりだけいたのですが、その人は3ヶ月でなんの成果も出せなかったものの正式採用してもらい、その上司に頭が上がらなくなり、詰められまくるという日々だったそうです。一年間はなんとか我慢して頑張ったらしいですが、結局目に見える成果を残せず会社を辞めていました。

私はちょうど試用期間の3ヶ月目に自分が配った”売物件募集”のポスティングのチラシから問い合わせをゲットし、私が担当の売物件となりました。
また来店のお客様をゲットすることができて、そのお客様のご自宅の売却そして新しい住まい(新築一戸建)の契約をすることができたので、入社3ヶ月目の試用期間中に、

  • 売物件を2件(うち1件は契約)
  • 購入の契約を1件

することができました。努力して実った結果でもありますが、運の要素もかなりあったと思います。

とにかく試用期間の3ヶ月はクリアーし正式採用となりました。

そして正式採用後ももう1件の売物件の買い手を見つけ、無事に契約も済ませ、入社してからは順調なスタートを切ることができたのです。

スタートダッシュ

私は割りと順調なスタートを切れたと思いますが、とにかく入社してすぐにはお客様を回してもらえることはないので、基本的には自分でチラシのポスティングをしてお客様を見つけないといけません。

前の会社で結果の出た「作文チラシ」(波乱万丈の転職&独立2(ブラック企業で頑張る~初めての転職)参照)をひたすら作成し、配布しても良いと言われたところのマンション全部に配布をしました。

すでに業界でその手のチラシは当たり前になってはいたものの、私の具体的な内容に興味を引いていただいた方が、たったのひと組ですがおられました。

そしてそのお客様からいわゆる一般媒介契約をいただきました。専任媒介契約ではなかったものの、入社して間もない期間に売物件をゲットできたのは、周囲の視線も少し熱く「負ける訳にはいかない」とメラメラとした闘争心も少し感じる事ができました。

そしてチラシを見たわけでもなく、ふらっと入ってくる来店のお客様は「先にお客様の前に出たもの勝ち」というルールであったため、土日の昼間などは、すぐに走って行ける場所に立って、お客様が店内に入ってきたらダッシュしてお客様の応対をするということを徹底しました。

するとひと組のお客様と面談することができ、そのお客様が自宅の売却をした上で「新築一戸建」に引っ越ししたいという要望だったのです。ただそのお客様の資金繰りでは、まず自宅を買ってくれる人を見つけないと新たな住宅ローンを組めないので、どうすればいいのかお客様自身も分からなかったようです。

それで私はとりあえず目標とする「新築一戸建」の物件を数件ご案内し、その中で気に入られた物件を購入する目標を立て「その物件が売れてなくなるまでの間に、お客様のご自宅をなんとかして売却する」という方針でお客様にご提案しました。

というのもお客様の住んでおられたマンションは、場所のいいところでしたので、もしも売りに出たとしたら、それほど時間をかけずに買い手を見つけることができるのではないかという目論見があったのです。
ただマンションの1階でしたから少々売りづらい物件ではありました。

その後私は、お客様から売却の依頼である「専任媒介契約」を頂きまして、さっそくまずはそのエリアを担当する先輩に、

「先輩がお持ちのお客様で、この物件を買ってくれる人はおられませんか?ぜひ既存のお客様にご紹介をお願いしたいです。」

とお願いすると同時に、自分でもチラシを作成し近隣に手撒き配布をしました。

すると1週間も経たないうちに、その地域を担当する先輩がお客様を連れてきてくれたのです。
そしてその物件を購入してくれるということになりました。

私はそのお客様の「購入申込書」を手に、売主である私のお客様のところへ訪問しました。

少し値段交渉はあったのですが、すぐにお客様が見つかり、新築一戸建への購入の道筋が見えたので、お客様は、

「よっしゃ!」

とまるで漫画のように手を叩いて、とても喜んでくれました。

そしてその場でお客様が希望する一戸建の「購入申込書」を頂き、お客様の自宅の売却および購入の契約をすることになったのです。

この場合、売1件、買1件の合計2件の契約となりますが、これを3ヶ月の試用期間内にすることができたので、一気に2件の契約をすることになったときは、先輩方が少し目を丸くして驚いていたように思います。

ある先輩は「面白いやり方するんやなあ」と言ってましたので、普通ならば、

  • 先に売り出して、売れてから次の購入先を紹介する
  • 先に購入先を買って(いわゆるダブルローンで購入して)その後に売る

の2つのやり方しか想像していなかったようで、私がやったように”売出すために、購入先の物件をご案内する”というやり方は、あまりメジャーではなかったのかもしれません。

とにかく、そのお客様と先輩のおかげで、私はスタートダッシュを切ることができました。

「自分の限界」を自分で決めていないか

入社してしばらくしてからのエピソードですが、その当時中途の新入社員だった私は、すぐに担当エリアを任せてもらえるわけでもなく、すぐにお客様をあてがってもらえるわけでもないので、ひたすら自作でチラシを作成し、とにかく配りまくるという日々を過ごしていました。

多い時では1日に3,000枚を配っていて、自分では「ほかの担当者よりも多く配っている」自負がありました。

そんなときにその当時の上司から「お前、一日にチラシを何枚配ってるんや」と聞かれましたので、私は少々自信ありげに、

「だいたい3,000枚を配っています!」

と返答しました。
きっと上司は「よく撒いてるな」と褒めてくれると思いましたら、

「たったの3,000枚か」

という反応だったのです。さらに、

「ワシのときは一日5~6,000枚まいとったぞ」

というので、私は、

(6,000枚?ホンマに?)

と半ば疑っていましたが、上司が言うには「朝の朝礼が終わったらすぐにチラシまきに行けるよう前日から段取りをしておき、それを午前中に配り終わったら会社に戻ってきて昼から配るチラシを印刷し、また昼から夕方まで配っていた」と言うのです。

(マジか・・・)

と思いましたが、その上司にできたのなら「自分にもできないはずはない」ですし、一日5,000枚や6,000枚を配布するという前提はそもそも自分にはなかったので、自分が3,000枚配って、ほかの担当者よりも多く配っているというだけで満足していたのではないのか、と目からウロコが落ちたような感覚になったのです。

その上司は、ほかの担当者の間では評判がすごく悪かったのですが、私にそのように助言してくれたことを私はすごくありがたく感じました。
そして、その日から早速実践してみることにしました。

明日の朝からすぐに配布に行けるよう、前の日のうちにチラシを印刷しておきます。

そして翌日、朝礼が終わってすぐ服を着替え、前日に印刷したチラシをその当時会社に持ってきた原付バイクの足元に積み、本気モードで配布をしたのです。

すると午後を少し回ったくらいで約3,000枚を配り切ることができました。

(できた!)

やろうと思えばできるもんだと思い、しばらく休憩しましたら事務所に戻り、午後から配布する原稿を印刷する段取りをしました。

ですがそこはまだ私は”新人扱い”でしたので、新人がやらなければいけない日々の雑用があります。とりあえず雑用をサッサとこなし、チラシの印刷に取り掛かろうとしますが、先輩社員のチラシ印刷があるので、なかなか印刷ができません。

その印刷を待つ間に、雑用含め他の仕事をしながら印刷のタイミングを待ち、順番が回ってきたら印刷をする、というような感じで午後の分の印刷が終わりましたら、すぐにまた原付バイクに積んで配布に向かいます。

そして一応決められた時間まで配布を続けて帰ってきましたら、6,000枚はいきませんでしたが、5,000枚超を配ることができました。

私はその時「やればできるもんやな」と思うと同時に、なんとなく3,000枚を自分の限界(というかそんなに配っている社員もいなかったので、営業が配れるチラシ枚数の限界は3,000枚くらいだと思っていた)と思っていたのですが、あっという間に自分の価値観(限界)を超えてしまったのです。

さすがにコレを毎日はできなかったですが、1週間のうちに約2万枚を数ヶ月続けることができました。

いちおう全社員に「今週てまき配布した枚数」の申告が週に一度あったのですが、ダントツで私だけケタが違っていました。
他の社員は配る暇もないのだと思うのですが、せいぜい多くて週に2~3,000枚の申告でしたから、私が”21,000枚”と書いていたら「ホンマに配ってんのか~?」と思われそうですが、実際に私は配っていたのです。

なのでそれでも上司やその上の部長からも「頑張っている」と評価をしてもらっていましたし、現に配っていたことで徐々に成果が出始めてきていたのです。

あの頃、必死になってチラシを配っていたことは、今でも自分の武勇伝の1つかと思います。

最低の上司との遭遇

そんなこんなで徐々に成果が出始めた頃、私の直属の上司が転勤となり、新しい上司が営業所にやってきました。

別の営業所にいたことはすでに認知していて「なんとなく人の良さそうな感じのおじさん」ぐらいに思っていたのですが、実際にその部下になってみて、その人が「人として最低なヤツ」ということを知っていくことになります。

本気で「人として終わっている」と思っていたので、そのエピソードの中から少しだけ書き出したいと思います。

エピソード1 子供の運動会は休めない

昭和の生まれ、高度成長の時をサラリーマンで過ごした人なら当たり前なのかもしれませんが、私が勤めた最大手企業でも、子供の運動会で会社を休むというのは、なかなか気軽に言えるものではありませんでした。

はじめに就職した不動産屋では、会社の雰囲気ですでに子供の運動会で休むことなんてできるわけがないでしょ、という空気がありましたので、まわりで”運動会で休む”人はあまり見ませんでした。
若い人が多い会社だったので、まだ家庭をもっている社員のほうが少なかったからかもしれません。

ちょうど秋ごろだったと思いますが、私はまだ入社して1年も経ってないころで、数字もまだなんとかギリギリやり切れるかどうかというそんな時期のことです。

夏頃はあまり不動産が動かない時期でもあり、新しい上司に代わってからはじめて「一ヶ月数字(営業成績)ゼロ」をやってしまったのです。

数字ゼロの月というのは、営業であればありえないことではないのですが、そこは最大手の不動産屋ですから「お客様がいない」という言い訳はたたず「一ヶ月数字ゼロ」はありえません。

新卒一年目であればそれも大目に見てもらえますが、中途採用で「一ヶ月数字ゼロ」を数ヶ月連続したりすると、遠い営業所に飛ばされたり退職を促されたりするくらい”キツイ”ものなのです。

その「一ヶ月数字ゼロ」を私はやってしまい、そんな時期に子供の運動会がやってきました。

数字ゼロの状態で非常に言いにくかったのですが「子供の運動会は二度とやってこない」ので、その上司に”運動会に行きたい”旨をお願いしました。

すると帰ってきた答えが、

「運動会に行くのはいいけど、もし今月も数字がゼロやったら、おれの(通勤用のために借りている月極の)駐車場代をお前が払え」

と言われました。

その時私は(???)と思ったのですが、とりあえず条件付きでも子供の運動会に行けるのであれば「やむなし」という思いがあったので、

「わかりました」

と言って運動会に行くことにしました。

そしてその日の晩、布団に入ってから悶々としてきまして、

(条件付きはわからんでもないが、でもその条件がオッサンの駐車場代を払う?意味がわからん。

と段々と腹が立ってきまして、その腹立たしさがさらにムカムカしてきて、寝れなくなったのです。
あまりに腹が立って目が冴えてきたのです。

そして翌日の朝、妻に謝りました。

「ちょっと悪いけど、どうしても納得がいかないから(言われるがままになるのが嫌なので)今日は会社に行くわ。ごめん。」

すると妻はその気持を理解してくれました。(本当に理解のある妻です)

そしてその日の朝の朝礼が、通常通り進んでいきますが、本当は私は会社を休むはずだったのに、出社していることになんの違和感も持たずに朝礼を進めていく上司。

しばらくして思い出したのか、

「お前、なんでおるんや」

と言われましたので、

「昨日言われた条件の意味が分からなかったので、来ることにしました。」

と言ってやりました。

するとその上司は黙り込んで何もいいません。
というかきっと”何も言えなかった”のだと思います。

「数字ゼロ」と「上司の駐車場代」はなんの関係もないのですから。

とにかく私は子供の運動会へ行けなかった(行かなかった)のです。

もちろん(?)ですが、最大手の企業で「有給休暇制度」はもちろんありますが、誰一人私の周りでその制度を使った人は見たことがありません。

(ついでを言うと辞めるときの”有給休暇消化”も使っている人を見たことはありません)
※現在はどうなのかは知りません

エピソード2 案件を上司につぶされる

最大手の企業(一部上場企業)と聞くとすごくクリーンなイメージを持たれるかもしれません。

実際に私はお客様からそのような印象を持っていると何度も言われたことがあります。
がしかし、現実はとてもブラック、でもお客様は「信じられない」という反応でした。

本当にそんな事があるの?と思われるかもしれませんが、これからの話しは実際に本当にあった話で、私以外の担当者もその被害(?)にあっています。

とくに月末にこんな話になることがよくありますが、

「今月(契約が)入らんのやったら、その客つぶしてまえ!」

最大手の企業の店長がこんな発言をするのです。それも特に珍しい話ではなく、ほぼ毎月言ってました。そしてそれを「部下にはそのように言ってハッパかけてます」みたいに上司の上司の部長に、自慢げに報告しているのです。

私もあるとき、月の最後の週にお客様を物件にご案内し、気に入った様子がありましたので、事務所に帰り上司にありのまま報告しました。

「気に入られたと思いますが、結論を出すにはもう少し相談したいと言っています」

私は「相談したいとお客様が言っているのだから相談するだけの時間は必要」だと思います。
(単に営業の押しから”逃げたい”のではなく、家族で話したいとか、親に相談したいとか、ごくごく自然なものです)

しかし当時の私の上司は、

「今月の数字にならんのやったら、その客潰せ!」
「こっちから断れ!」

と言ってきます。

全く意味がわかりません。

お客様を潰す?こっちから断る?この人は何を言ってるんだろうか。
常識では考えられないことを平気で怒鳴り散らしながら言うのです。

私は状況を報告した後、そのように言われたので、いちおう「もう一度お客様のところへ行ってきます」と言って外出をしました。

そしてしばらくして事務所に戻り、

「言われたとおり、お客様のところに行ってきましたが、もう”買わない”ことになりました」

と報告しましたら上司は目を合わせることもなく「わかった」とだけ言いました。
ですが私はその後、

「すみません。いまウソをつきました。せっかくの大事なお客様を潰されるのが嫌なのでウソをつきました。実際にはお客様のところへは行っていません。」

と言いました。

別に怒鳴り散らされるのは怖くありませんし、それで自分の評価が下がって辞めさせられることになっても別に「自分は間違ってない」と思っていましたので、なにも怖くありませんでした。

すると上司は唖然とし、

(むむむ・・・)

という顔をして無言になり、それ以上私に詰め寄ることはありませんでした。

結果、翌月にそのお客様は無事に物件を購入してくれました。

しかし上司は「その客は先月の数字やからな」と言っておりました。

どこまで行ってもひとこと言いたい上司のようです。

エピソード3 上司が地元業者と癒着している

業界の人でないと分かりづらい話かもしれませんが、なるべくわかるように書きますので最後までお読みください。

私がお客様から売却の依頼を受けて、その物件を会社のホームページに記載します。

同時にレインズという業界専用のオンラインシステムに登録することで、その物件情報を当社以外の他の不動産業者にも提供します。

もしも他社に興味を持っていただけるお客様がいるとしたら、他社は私を通じてその物件を見に行くことができます。

そしてそのお客様が気に入れば、買主は他社を通じて「購入申込」をし契約することになります。

商流としては、

「買主 → 他社 → 当社 → 売主」

という流れになり、

  • 買主は他社に仲介手数料を支払う
  • 売主は当社に仲介手数料を支払う

ことになります。

コレを業界では「分かれ取引」「片手取引」と呼びます。

しかしもしもその買主が他社に依頼せず、当社のホームページを見て問い合わせをしてきた場合の商流は、

「買主 → 当社 → 売主」

となり、

  • 買主も当社に仲介手数料を支払う
  • 売主も当社に仲介手数料を支払う

ことになり、当社は仲介手数料が二倍になります。

コレを「チョク(直)取引」とか「両手取引」と呼びます。

つまり買主が当社に直接来るのか、他社に依頼して見に来るのかで、当社の仲介手数料の額が1倍か2倍かで大きく違ってくるのです。

物件の金額が約8,000万円でしたので、仲介手数料は片手で約250万円両手取引の場合は約500万円になります。

当然ですが当社としては両手で取引できれば、2倍おいしいわけです。

で実際に当社のホームページからお客様の問い合わせがありまして、その物件を検討したいと言ってきたのです。

すると上司は、

「そのお客様は〇〇不動産のお客様やから(うちの会社のお客様ではない)」

と言うのです。

(???)

私には全く意味がわかりません。お客様がホームページを見て来店し、その物件を検討したいと言っているのに「当社のお客様ではない」と言うのです。

もう一度言いますが、全く意味がわかりません。

そのお客様が、私が担当する物件を購入する場合は、〇〇不動産をとおして買うことになると言うのです。

言い換えれば、当社としては両手取引ができる状態にありながら「そのお客様を〇〇不動産に譲り、当社の仲介手数料は片手取引の分だけ」と言うのです。

どう考えても「会社への背任行為」です。

なぜ上司はそんなことをするのか。業界の人間で無くてもすぐわかると思いますが、上司は〇〇不動産にお客様を譲り、その見返り(金銭)をもらおうとしているのです。

あからさまにわかりやすい不正行為に私はドン引きすると同時に、完全に頭にきました。

納得はできませんでしたが、とりあえず上司の言うがままそのまま分かれの取引をし、私はその上司に鉄槌を下すことにしました。

大手企業ならどこもあると思いますが、いわゆる社内の「コンプライアンス通報窓口」にお客様から問い合わせのあった履歴や、それまでの経緯をすべてメモにし送ってやったのです。

すると数日後、本部の人事部長から私宛に電話がかかってきました。

「〇〇さん(私のこと)は入社してから活躍されているので、新卒のセミナーでスピーチをしてほしい」

(???)

その電話に私は訳が分からず本部に行きましたら、上司にわからないように私を本部に呼び出すため、会社の役員が人事部長を使って連絡をしてきたそうなのです。

その気の利いた役員のお陰で、私の上司には何も知られず、私は本部にて役員に”上司の不正”を報告することができたのです。

そしてそれが原因かどうかわかりませんが、約2年後くらいに上司は転勤していきました。

エピソード4 上司の金銭横領の疑い

いままでのエピソードの最中にもいろんなことがありましたが、私が本気で「辞めても構わない」と思いながら上司に向かって本気でキレたのは後にも先にもこれだけです。

前述のエピソードにも書いていましたが、月末が近づいてくるととにかくピリピリしてきます。

上司にとっては、今ある案件が”月内”に入るのか否か、それしか興味がないと行っても過言ではありません。

何かにつけて「あの客はどうなってる」と問い詰めてきます。

だいたいお客様が動くのは土日がメインですし、こちらが月末に近づいたからといってお客様が早くに結論を出す理由はありません。なのでそんなにしょっちゅう「どうなった」と聞かれてもそんなにすぐに動きがあるわけがないのですが、上司は聞いてくるのです。

それでも営業マンはなんとかしようと頑張ります。「今月中に契約してもらえるのであれば」と言って(というか言わされて)月内に入れようと躍起になります。

そんなピリピリした中、当時の上司はバックヤードで昼ごはんをのんびりと食べ、そのあと約1時間~1時間半ほど昼寝をするのです。

それだけでも、

(こっちは月内に入れようと必死で動いてるのに、なに昼寝してんねん)

と腹立たしいのですが、たっぷりと昼寝した後に、起きがけに、

「あの客はどうなってる!」
「なにをのんびりしてるんや!」

と怒鳴り散らしてくるのです。

それが数日続いた頃に、完全に私は頭にきました。

毎度のごとく「なにをのんびりしてるんや!」と言ってきたので、私はその時持っていた書類を上司に投げつけ、

「のんびりしてるんはどっちや!こっちは必死でやってんのに昼寝してのんびりしてるんはお前やろ!」

と言いました(言ってしまった)。

当然、周りは凍りつきます。
誰一人として逆らうことがない(私は時々逆らっていましたが)暴君に書類を投げつけ暴言を吐いたのです。

その後私は「表に出ろ!」とその上司を押しながら表に出ていきました。

「おれら(営業マン全員)は手を抜かず月内に入れようと頑張ってる」
「飯食うて昼寝してのんびりしてるんはお前やろ!」

上司は身構えて、私が殴ってくるのを待っています。
殴ったら完全に私が悪くなるので、上司はそれを待っているようでした。
私はそれがわかったので、手を出すことはありませんでした。

そしてついで(?)にそれまで私が持っていた上司への疑いも言ってやりました。

当時、不動産業社はマンションや一戸建にバイトを使ってチラシを配っていました。マンションは1枚1円とか戸建の場合1枚3~4円とかです。
私がいた営業所は、マンション何円、戸建何円と決まっていたのですが、古くから(私の上司が営業マンだった時代から)バイトとして雇われていたオバサンだけが、ほかのバイトの人よりも2倍の単価の報酬をもらっていたのです。
さらにそのオバサンはチラシを印刷するバイトも兼務しており、オバサンだけで20万円近くの報酬を毎月受け取っていたのです。

私はそのオバサンが配るはずの場所を約2ヶ月間毎晩見て回りましたが、1枚もチラシが入っていませんでした。配られた形跡はなかったのです。

しかし会社の内部では配ったことになっていて、その報酬がオバサンに支払われていたのです。
またそのオバサンはどうやら上司と男女の関係だったという噂もあり、オバサンは上司の日用品の買い物などなんでもしていたのです。

私は二人の関係が、男女の関係だけではなく金銭の関係もあるとして疑いを持っていたので、ちょうどキレたときに全部ぶちまけてやったのです。

「おれらが必死で稼いだ仲介手数料を何に使ってるんや!」
「配ってもないチラシの報酬になんで払われてるんや!」

とにかくそれまで思っていたことを全部言ってやりました。

そしてその騒動が一段落したあとすぐ(同日)私はお客様のところへ行く事があったので、従業員専用口から出ますと、その上司とオバサンが二人で話し込んでいました。

そしてそのオバサンは翌日から来なくなりました。
オバサンが追求されていくとボロが出ると思ったのでしょう。その日のうちに上司はオバサンをクビにしたのです。

その騒動以降の上司は、私を含め、ほかの担当者には暴言を吐いたり、怒鳴り散らしたりすることはなくなり、しばらくのあいだはまるで借りてきた猫のように大人しくなりました。

だからといって数字は下がることもなく、全員が自主的に頑張っていたので、営業所の成績も以前とさほど変わることはありませんでした。
つまり上司がいくら怒鳴り散らしてもそんなに数字は変わらないということです。

営業担当者全員が(上司が思っている以上に)頑張っているということが実証されたようで、私はすごく仕事がしやすくなりました。

しかしそれもほんの3~4ヶ月くらいだけでした。
5ヶ月目くらいには、上司はまた元に戻り怒鳴りまくっていました。

ただワタシ的には、不正オバサンがいなくなったのと、私にはあまりなにも言わなくなったので、私への直接的な被害はほぼなくなりました。

つづく

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