社会人になってからの波乱万丈の人生。記録に残すということも兼ねて書きました。
大学卒業までの就職活動
部活の先輩リクルーター
私はある公立大学に通っていました。
当時、体育会の野球部に所属していたので、公立大学だし、体育会野球部だし、就職には困らないだろうとタカをくくっていました。
大学3年生から4年生にかけての時期ぐらいに、いきなり先輩から電話がかかってきます。
当時は携帯電話を所持している学生はほとんどいなかったので、基本自宅や下宿先の電話に電話がかかってくるのです。
先輩の要件はいわゆる「リクルーター」と言われていたもので、新入社員の採用です。
当時私が所属していた野球部からは、毎年一人は大手損害保険会社に入社していたらしく、その先輩からも「面接に来ないか」とお誘いがありました。
保険会社には全く興味がありませんでしたが、とりあえず行くことにしました。
「スーツは来てこなくていい」
と言われたので、私はスラックスにポロシャツというスタイルで行きました。
そして当日、マンツーマンで先輩と会うのかと思いましたら、私以外に二人ほど来ていて、その二人はきっちりスーツを着て、リクルートスタイルできていました。
私だけ、なんともラフなスタイルで面接に来ていたのでした。
今の自分が過去の自分に、もしひとこと言えるとしたら、
「アホやろ」
と言いたいです。
もちろん、面接はその先には進めず、採用不可となりました。
そもそも保険には全く興味がなかったので、行くつもりもなかったのですが、
「内定もらえるんやったらもらっとこう」
くらいの軽い気持ちで行きましたので、落とされたことにはなんとも思っていませんでした。
そんなスタンスで就職活動をしていたものですから、内定は全然もらえませんでした。
合同説明会に行く
夏頃、周りの友人が内定をもらっていく中、私も少し焦りが出てきました。
「そろそろ内定の一つぐらいもらっとかないと、ちょっとまずいかも」
なんてそれでもそこまで焦っていなかった私でしたが、そこそこ名前の知ってる企業にいくつか資料請求ハガキを出したりして、面接はちょいちょい行ってたのです。
それでもそこまで「行きたい」と思える会社もなかったし、
「入社したいです!」
なんてアピールすることもなかったですね。
そんな中で、夏休みに高校時代の友人から
「合同説明会行ってみないか?」
と誘われたので、まあ内定ももらってなかったし、公立大学に在籍しているというだけで、就職活動なんて楽勝楽勝、ちょっと変なプライドを持っていた私は、
「まー仕方ない。行ってやるか。」
てな感じで行くことにしました。
今考えればなんと失礼な学生だったのかと、顔面ファイヤーですが、とりあえずどこだったか忘れましたが、たしかリクルート主催の合同説明会に行くことにしましたのです。
衝撃的な出会い
合同説明会には、中小企業がメインでたくさんの会社が来ていました。
そこでなんとなく惹かれて座ったのが、ある不動産会社でしたが、私はそこで衝撃を受けることになります。
それまでに参加していた会社説明会というのは、文字どおり「会社」を「説明」してくれたのですが、そこの会社は、
「社会人として、当たり前のことを当たり前にやり、社会人として一人前にならないか?」
というような問いかけをしてくる会社だったのです。
あまりに今までと違ったアプローチに、私は一気に惹かれてしまい、話に釘付けになりました。
今まで出会った企業の採用担当者とは違い、そこの会社の一人ひとりが自信に満ちた人たちに見えたのです。
「自分もこんなふうになりたい」
初めて芽生えた感情でした。
そうだ、自分がほしいのは会社の看板ではなくて「真の実力」なんだ、そんなふうに考えて、その会社に入社したいと心から思ったのです。
その後、何度か面接をしまして、とうとう最終の社長面接の手前まで来ました。
過去の自分にアドバイスができるとしたら・・・
たしかに「社会人として一人前になりたい」気持ちは当然だと思うけど「一人前」の定義はなにか?まずはそれを自分に問いかけどうなりたいのかを考えるべし。単に会社の人について行って”仕事を教えてもらう”のでは先輩に依存しようとしているのではないのか。どんな会社に行っても、その志があるのであれば、もう少し会社や業種の選択肢を増やしても良かったのかもしれない。その志を維持するためにそういう環境に行くのであれば、それで良かったのかもしれないが、もっと就職活動をたくさんするべきでしたね。
他社からの内定
いい加減に就職活動をしていた私でしたが、そんな中、ある一部上場の住宅メーカーから内定の通知が届きました。
あまり記憶にありませんが、封筒に一枚だけ「採用が決まった」的なことが書かれていたように思います。
「一部上場の会社に行くか、中小企業で自分を磨くか」
そんなジレンマがありましたが、合同説明会で出会った不動産会社の社長と面談することになりましたので、その採用通知を持って向かうことにしました。
そして社長との面接の時、
「そんな採用通知は捨ててしまえ」
と、言葉は乱暴でしたが「来てくれないか」と言われた気がしたので、私は心を決めました。
そしてその不動産会社に入社することにしました。
不動産会社に入社、そして地獄の新入社員研修
これぞブラック企業の新入社員研修
晴れて大学を卒業し(実は留年しかけてギリギリ卒業)、不動産会社に入社をしました。
4月1日に入社式があり、その日の午後からは休むまもなく「新入社員研修」が始まりました。
一般的な新入社員研修というのは、大手の会社とかでしたら、研修所とかに行って、朝から夕方まで研修、夜は同期で懇親を深める、みたいな感じなんだと思いますが、度肝を抜かれる研修が私を待ち受けていました。
とりあえず入社式をしたホテルを何台かの車に分かれて研修場所に連れて行かれるのですが、街からどんどん離れていき、人里離れた山奥に連れて行かれます。
研修所というよりは、民宿みたいなところでした。周りには山と川しかありません。
たしかそこではじめは和気あいあいと昼食を済ませたと思うのですが、食後の午後から怒涛の研修が始まりました。
まず初日の初っ端に、いきなり怒鳴られます。
「お前らはなんにもできない!」
今思えばそれも、会社側の作られたストーリーに沿っていただけなのですが、とにかく学生気分から脱却させるために、いきなりの洗礼。
声の大きさから返事の仕方、あらゆる挙動すべてにダメ出しをされながら、名刺交換の仕方、電話の取り方などを教えられていきました。とにかくちょっとしたことでもスグに怒号が飛んでくるので、ビクビクしながらやっていたことを覚えています。
そして不動産講座などいろんな研修内容が19時位まで続いていきます。
19時頃にひと通りの時間割を終え、晩ごはんとなりますが、晩ごはんを食べてその日が終わり、というわけではなく、その後「討論会」と称して、1つのテーマに従って、新入社員同士で討論し、翌朝の一番最初の研修でそれを発表する、というものです。
初日の研修で全員認識したのですが、ちょっとでも手を抜くと、怒号が飛んできて、マジでしばかれます。なので、中途半端な発表をすることはできず、結局初日から、オールナイトで討論会を行ないました。
当時、新入社員が私を含め10人ほどいましたが、全員オールです。
朝は確か6時起床(というか寝てない) → ランニング → 朝食といった流れで、オールのあといきなりランニングです。
当然、眠たいです。
研修中、ちょっとでも気を抜いて寝てしまうと、
「何寝てんのじゃボケ!こっちも一生懸命研修やってんのじゃ!」
と机をどついたり、蹴飛ばしたりして激怒されます。
というわけで誰も寝れません。
信じられないかもしれませんが、この研修が7日間続きました。
私が7日間でとった睡眠時間は10時間にも及びませんでした。
7日間を終えて思ったこと。
「人間ってそんなに寝なくてもなんとかやっていけるもんなんだな」
私は案外クールな感じでしたが、他の同期は、その研修を逃げずに(というか山奥のため逃げれない)最後までやりきったことに、みんな号泣していました。
全員が苦しい研修を乗り切って号泣し、仲間意識が最高潮になったところで、社長登場。
「この研修を乗り切ったお前らなら、この先どんな苦しいことがあっても、乗り切ることができる!」
それを聞いて、新入社員は高揚します。
ここまで読んでいただいた皆様、どう思われましたか。
当時、その渦中にいた私は、その渦の中の真ん中で、
「そうだ、これより厳しいことなんてない、これからなんでもがんばれる!」
と思っていましたが、あれから約30年経った今は、
「これが宗教のやり口か・・・」
とかなり冷めた感じになっています。
確かにあのときのあの苦しさは二度と味わいたくないほどの苦しさでした。
でもこれは社長のいわゆる社員教育という名の「洗脳」だったように思います。
でもその時の私は、そんなことに気づくこともなく、それから約10年、その会社に勤めることになります。
過去の自分にアドバイスができるとしたら・・・
研修を乗り切ったときに周りが号泣していたけれど、自分のその時の本音は少し冷めていたはず。正直周りがなんで泣いているのかちょっとわからなかったよね。その場の空気に流されていたようにも思う。それが本当の自分の正直な気持ちだったかもしれない。もっとその正直な気持ちに早く気づいていれば、また違った人生を歩んでいたと思います。
当時はもうすでに「第2就職」みたいな感じで新卒がすぐ辞めてリクルートする制度が始まっていたように思いますので、広い視野を持っていればまた違う考えも持てたかもしれませんね。(否定しているわけではない)
現場へ配属
新入社員研修を終えた私は、一日の休暇のあと、現場に配属されました。
私の配属は、新築マンションのいわゆる販売センターでした。
朝の8時に駐車場に集合し、社員何名か同じ車に乗って、約45分ほどかけて販売センターへ出勤します。
朝の掃除から始まり、現地での研修もあり、とにかく緊張の連続でした。
お客様との接客のロールプレイングや、モデルルーム案内のロールプレイングなどを中心にやっていくのですが、夜はいきなりお客様カードをどんと渡されて、お客様の呼び込みの電話をさせられました。
後で聞いたところによると、仲介の営業所に配属された動機も同様にお客様カードを渡されて、呼び込みの電話をさせられていたそうです。
これを業界では「追客」というのですが、この追客タイムが本当に苦痛で、私が新入社員だった頃は、コンプライアンスもそこまでうるさい時代ではなかったので、
「夜の11時まで追客しなさい」
と言われていました。
実際に夜の11時までお客様カードを一枚ずつめくって、
「〇〇販売センターの〇〇ですが、その後お住まい探しはいかがでしょうか。」
という決まり文句から入り、とにかくひたすら電話をしていきました。
そのころはまだナンバーディスプレイもなかったので、電話をかけると出てくれるいい時代ではあったのですが、そもそもそのお客様カードは、営業マン全員が「このお客は買わない」と捨てたカードなのです。
ですから電話に出てくれても、
「この間〇〇さんに買わないって断ったけど」
なんて言われることが当たり前。
「そうはおっしゃいますけど、〇〇は〇〇だと思いますので・・・」
などとロールプレイングで習った応酬話法を駆使して、なんとかそのお客をつなぎとめようとします。
それがどうも新人の登竜門のようですが、はっきり言ってお客にしてみれば、新人の研修のために夜遅くに電話をかけてこられたらたまったものではありません。
そのお客様カードも毎日11時まで電話をしているとあっという間に1周してしまいますので、上司に、
「全部終わりました」
などと報告すると、
「お前これだけカードあって、一人も呼び込めないのか」
と怒られます。
「全員に断られました」
というと、
「その人はホントに買わないんだな。ならばそのカードおれに貸せ。」
と言われます。上司は百戦錬磨の経験者。もしもそのカードから1件でも呼び込まれてしまったら、私の立場がなくなります。それを上司は言っているのです。
「い、いえ、もう一度頑張ってみます」
結局、一度電話して断られたところにも、また電話をしていくことになります。お客にしたらたまったものではありませんが。
「またあんたか。前に断っただろ!」ガチャリ!
日にちをあけて、また同じところにかけます。
「またあんたか!しつこい!」ガチャリ!
またかけます。
「もうなんやねん!なんや要件は!」
「ちょっとお伝えしたいことがありまして・・・」
という感じで、話を聞いてもらえる糸口が出てきたら、それからが営業です。
そんなこんなの電話追客をして、1件のお客の呼び込みに成功し、上司に褒められたときには、ちょっと嬉しかったものです。
同期がどんどんいなくなる
毎日夜の11時まで追客をしているものですから、つまり、夜の11時以降まで仕事をしているということなのです。後片付けもありますから当然、終わるのはそれよりもっと後です。
仕事が終わりましたら、上司は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ビールを飲み始めます。
帰りは車なのに・・・飲酒運転です。
今だったら考えられません。
そうです。私が社会人として一人前になりたいと思って、一部上場企業を断り、入った会社はいわゆるブラック企業だったのです。(その時の私はまだ気づいていない)
朝は8時に集合して出社、家に帰ってくるのはいつも夜中の1~2時。
それが私の社会人一年目でした。
私はなんとかそれを乗り切っていたのですが、同期の中には耐えきれず、体を壊したり、精神的に病んだりして辞めていきました。
私はありませんでしたが、同期の中には朝起きて、会社に行くのが耐えられず、無断欠勤をしていた同期もいたみたいです。
ですが無断欠勤は許されるわけもなく、会社に来なかったりすると、上司が家までやってくることになります。
私達新入社員はなぜか「一人暮らしは絶対しないといけない」と言われていて、全員が一人暮らしでしたから、みんなワンルームマンションに住んでいました。
そして、これも考えられないことですが、それぞれの社員の部屋の鍵を1本、会社に預けないといけませんでした。
社会人になって1年目の私は、それをおかしいとも思わず、そういうものなのかと思っておりましたが、今思えばものすごくおかしいですよね。
無断欠勤した社員の部屋へ上司がやってきて、鍵を開けるのです。
会社は、厳しさのあまり社員がこの様になることを想定して、鍵を一本預からせていたのです。
想像してみてください。
精神的におかしくなるくらい働かされて、朝起きて、会社に行けない。
当然電話がかかってくる(当時は固定電話)。
そして会社から支給されているポケットベルが鳴る。
挙句の果てに、上司が家にやってきて、鍵を開けて入ってくる。
恐怖です。
私はそんな会社に就職していたのでした。
今思えば、本当によくやっていたと思います。
その当時は労働基準法とか労働基準監督署とかの存在を知らなかったですし、今みたいにスマホやインターネットが無かったので、検索ということもできませんでしたから、会社の言うことが全てだったのです。
ブラック企業で人生の伴侶と出会う。
好きになった同期の女の子
そんなきつい会社で社会人の1年目を送っていた私ですが、一人だけ同期(女の子)で話せる子がいました。
夜遅くに仕事から帰ってきて、その子に電話をかけます。
女性社員は、男性社員と違って、ほぼ定時で帰ってみたいですから、私が仕事から帰ってきたときには、すでに寝ていたりしました。
ですが私は一方的に電話をかけて、彼女にその日のことなどを話していました。
彼女はその当時彼氏がいましたので、彼氏にしてみたら、夜中に一緒にいる彼女のところに電話がかかってきて、しかもそれが男となると、あまり気持ちのいいものではなかったことでしょう。
でもその時の私は、その彼女に気があるとかそういうのでなくて、とにかく話したいと思って電話をかけていました。(その時はまだ「好き」という感情までいってなかった)
そもそも彼女とその彼氏はラブラブでうまく行ってたのですから。
彼女はとても迷惑そうでしたが、でも少し話を聞いてくれました。
私はそれでまた「明日も頑張ろう」と思えて、彼女の存在が私にはとても大きかったです。
そしてそれが実は今の妻です。
彼氏がいたのに、今は私の妻、ちょっと話が飛びすぎますが、それはまた別の機会にお話することがあればお話することといたします。
逃亡、あてもなく東京へ
入社してから1年半が経ち、前段の彼女と正式に付き合うこととなりました。
私は彼女にモーレツに惚れて、モーレツにアタックして、とにかくモーレツに・・・
で付き合っていたのですが、私は2年目に入り、部署も異動し、相変わらず上司にしばかれながら遅くまで仕事をしていました。
彼女も部署異動し、それまで定時に帰れていた部署から、強烈に厳しい部署に異動となりました。
彼女も毎日、深夜まで仕事し、日が変わるまで(時にはオールで)仕事をしていました。
そんな極限状態の二人でしたが、どれだけ仕事が遅くなってもやっぱり会いたいので、お互いの部屋を行ったり来たりして、なるべく毎日あっていました。
しかも『社内恋愛厳禁』と言われていましたので、一度家に帰ってから、どちらかがどちらかの部屋に向かうというようにしていました。とくに仕事帰りは、みんなで一緒に帰ったりすることが多かったので、家にまっすぐ帰る素振りをきちんと見せないといけないのです。
でも仕事が終わってから会うと、お互い仕事で疲弊していますので、ちょっとしたことでケンカになったりします。本当によくケンカをしていました。
いつもはそこまで大きなケンカにはならず、スグに仲直りもできていたのですが、あるとき大ゲンカをすることになります(原因は忘れました)。
深夜からケンカをしていますから、大ゲンカは朝まで長引き、外が明るくなってきた頃、
「なんでこんなにケンカばっかりしてんのかな。。。」
「そやな。。。」
お互いがほんとに愛し合ってるのに、ちょっとしたことでケンカをして、二人でいるときも笑っていない、そんなことにお互いが嫌気が差してきて、
「もう二人でどっかに行こうか」
ちょうど夜明けのときに、突然思い立ち、とりあえずカバンに着替えだけを詰め込んで、二人で駅に向かいました。
そして行く先も決めてなかったので、とりあえず東京までの新幹線の切符を買い、二人で新幹線に乗りました。
いわゆる駆け落ちです。
二人で手を繋いで無言で景色を眺め、想像できないこれからに不安をいだきつつも、誰にも邪魔されない二人だけの時間に私は幸せを感じていました。
いろんなものを捨てて、彼女と二人だけで生きていく。
自分が本当に欲しかったものかもしれません。
そして東京に到着しました。
賃貸マンションを探す
東京についてから、わたしたちが初めにやったことは、
「賃貸マンション探し」
です。とにかく拠点となる住まいを決めなければならないので、当時の確かリクルートの住宅情報を購入したのだと思います。
しかしいきなり出鼻をくじかれることになります。
賃貸マンションを借りるためには、
「保証人」
が必要なのです。まだ社会人になっても世間知らずの私は、賃貸マンションを借りるのに保証人を立てなければいけないということも知りませんでした。(住んでいたワンルームは会社が契約していたので)
あるお店に入って、
「保証人無しで借りれますか」
と聞くと、
「ダメです」
と言われて、絶望したことを覚えています。
二人だけで生きていくと決めて東京まで出てきたのに、部屋すら借りれない、どうすればいい。。。
とりあえず、その日はホテルに泊まることにしました。
ホテルといってもなんか和風の安い変なとこだったように思います。
翌日、保証人無しで借りれるところはないか探すことにしました。
なにかの広告で、
「保証人無しで借りれます」
という謳い文句を見つけたので、その言葉だけを頼りにそのお店へ向かいました。
場所は埼玉県の小手指というところでした。
実際にその不動産屋に行ってみると、保証人無しで契約することができました。
とりあえず住む場所を確保できてひと安心。
その部屋の鍵をスグにもらって、とりあえず布団を買いました。
お金もないので、布団は一人用を一つ買って、一緒の布団で寝ました。
この辺の時期の記憶は曖昧なのですが、数日かけて鍋や食器、リサイクルショップで冷蔵庫を買ったり、パチンコの景品で炊飯器を持って帰ったりしたりして、家財道具を揃えていきました。
当時、私はほとんど貯金がなく(労働の割に給料は少なかったので)、彼女が出してくれていたように記憶しています。
誰にも言わずに東京まで来ましたが、私は一応親には連絡を入れていました。どことはまだ言えないけど、ちょっと遠いところにいるとだけ伝えたのですが、そのときに何も言わず、数十万円を私の口座に振り込んでくれていました。そういう親に今でもとても感謝しています。
家財道具を揃えたりしながら、アルバイトニュース(当時の情報誌)を購入し、仕事を探そうとしていましたが、それまでがあまりに忙しすぎて、仕事しかしていなかったので、一日中時間があることがとても嬉しく、そして何もしないことが新鮮で、まるで学生時代に怠惰な一日を過ごしていたように、時間を浪費していました。
アルバイトニュースは見るもののすぐに面接に行くわけでもなく、1週間ほどだらけた生活を過ごしていました。
全く知らない土地で、全く身寄りもない場所で、これからやっていけるのか、そんな不安が突然襲ってきたり、大好きな彼女をこんな形で連れ出して本当に良かったのか、彼女を本当に幸せにできるのか、怠惰な時間を過ごしつつも、そんなことを考えていたように思います。
彼女は全く知らない土地に来て、これから二人だけで生きていくことに希望を描いていたみたいです。
それまでまともな睡眠を取れていなかった私は、朝ゆっくり寝れることに幸せを感じ、遅くまで寝ていたりしたのですが、朝起きたら彼女がいなくなっていて、どこに行ったんだろうと思ったら、彼女は朝早くから起きて周辺を歩いていたみたいです。私よりも近隣の色んな情報を早くに仕入れていました。
不安に思っていたり、葛藤していたりして、何もできずに(しないで)いた私と違って、
「女は強いなあ」
としみじみ思ったことをなんとなく覚えています。
そんなこんなで1週間ほどが経ちました。
決意する
突然やってきた決意
なぜそうなったのか、自分でもよくわかりません。
1週間ほど経ったときに、
「やっぱりこのままは良くない」
突然そんなふうに思いました。
私は彼女が大好きで、彼女と一生を共にしたい、幸せにしたい、と思っていました。(今でも)
果たして、この状況から進展していったとして、自分は彼女を幸せにできるのだろうか。自分は一人前になれるのだろうか。そこまで自分は強いのだろうか。
そんな風に考え、突然彼女にその気持ちを打ち明けました。
そして私は当時の上司に電話をし、自分がどこで何をしているのか、賃貸マンションを借りたこと、家具を揃えたことなどを伝え、謝罪しました。
彼女はすごく泣いていたように思います。
翌日、私はレンタカーを借り、それまで買い揃えた家具一式を全部トラックに載せ、冷蔵庫を購入したリサイクルショップまで運び、すべてを処分しました。
彼女がいなくなった
私がその手続きを終え、店を出ると彼女の姿が見つかりません。
私は気が動転し、あたりを探し回りました。
どこにいった?
そしてあちこち走り回って探し回ったところで、建物と建物の間で彼女を見つけました。
彼女はそこでガラスの破片を使って、自分の手首を切っていました。
大きな出血まではしていませんでしたが、いわゆるリストカットというものです。
彼女としては、誰にも邪魔されず二人だけで生きていく、せっかくここまで来たのに・・・という思いだったのだと思います。
私は彼女を抱きしめて、帰って必ず一人前になり、彼女を幸せにすると誓いました。
いまでも思います。本当に振り回してごめん。
再び会社へ
その日の夜、深夜の高速バスを利用し、再び元の場所に戻りました。
ふたりとも足取りは重かったのですが、私はすでに決心していたので、彼女の手を引くように帰ってきました。
そしてその後、私は一人で会社に向かいました。
会社に到着すると、女性の事務(誰だったか思い出せないけど)が笑顔で私を迎え、会議室に案内してくれました。
会議室に到着してしばらくすると、社長が会議室に帰ってきました。
「よく帰ってきた」
社長は笑顔ではありましたが、いなくなってから毎晩飲んでいたのか、寝ていないのか、若干やつれた様子が見えました。
(後で聞いた話ですが、社長は私の上司を含めその他社員に「絶対に怒るな。笑顔で迎えろ。」と厳しく指示を出していたようです。)
私は深々と頭を下げ、社長に謝罪しました。
何を話したのか具体的にはっきりと覚えてはいませんが、
「もう一度いちから出直したいので、どうかよろしくお願いします」
という内容のことを話したのだと思います。そして、社長は快く受け入れてくれて、私は再度その会社で働くことになります。
その時の彼女は
私が借りていた賃貸マンションは、彼女と二人で飛び出したときから何も変わらずそのままだったのですが(後で聞いた話では、当時の私の上司が、私が会社に預けていた鍵を使って室内に入り、私が帰ってくるのをずっと待っていたらしいです)彼女の部屋はもぬけの殻となっていました。
というのも、私たちが飛び出して東京へ向かった際、彼女も私と同じく自分の親には連絡を入れていたようで。
彼女のお母さんは、娘(彼女)がそのブラックまみれの不動産会社で働いていることが気に入らなかったらしく、私たちが飛び出したことをいい機会だと思って、彼女の部屋の中のものをすべて運び出した(引っ越しした)そうなのです。(お母さんの行動力に脱帽)
そういう状況でしたので、私は会社に残って一から出直す事になりましたが、彼女はこれを機に、会社を辞めることになり、実家に帰ることとなりました。
私としては、当時「社内恋愛厳禁」を言われていましたので、彼女が会社を辞めることで、堂々と付き合うことができるという喜びもありました。
会社へ復帰したときの心境
会社に復帰した私でしたが、一度は会社から逃亡した身分です。
周囲の視線はどうだったのか。
その時の私は、全員の目が白く見えたものです。
上司、同僚、後輩などの同じ部署の身近な人達とは、割と早く馴染めるようになったものの、それ以外にも多く社員がいましたので、スキャンダラスな行動を起こした私への視線は冷たく感じていました。
でもきっと中には、
「気持ちはわかるよ」
と思ってくれている人もいたように思います。言ってみればみんな同じ環境で我慢して、強がって、仕事していたのだと私は思います。
とにかく私は過去の経験や学歴は全部捨てたものと思って、その後ひたすら仕事に打ち込むことになります。
つづく
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